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東京地方裁判所 昭和32年(刑わ)4085号 判決

被告人 D

明四〇・三・一八生 弁護士

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件の公訴事実

本件の公訴事実は次のとおりである。

被告人は千葉県弁護士会所属弁護士であり、昭和三十一年六月二十九日千葉地方裁判所において判決言渡しが行われた伊東勝ほか二名に対する傷害致死等被告事件(いわゆる養老の子守殺し事件)の主任弁護人で右伊東勝らが控訴申立後もその弁護を担当しているものであるが、同年十一月下旬毎日新聞社千葉支局記者道村博が東京高等裁判所第五刑事部において右控訴事件の審理のため同年十二月一日、二日の両日千葉県市原郡五井町所在市原警察署五井警部補派出所において証人尋問等を行うことを被告人より聞知し、同年十一月二十八日頃被告人に対し右控訴事件に関する取材のため電話等で問合せをなすや、被告人は前記判決言渡直前原審の裁判長であつたAが右事件の取調警察官と会合した事実ならびにいわゆる判決を取引した事実の有無につき確証がないにもかかわらず、新聞紙に掲載せしめるの意図を以て、同記者に対し、ことさらにAが判決言渡直前取調警察官と会合した事実があり、右会合は裁判官の直系の事務官より聞知したので間違いない旨虚構の事実を申し向け、なお一審判決直前裁判長が拷問をやつた取調官たちと会合することは問題であり、日本の裁判の威信のためにもはつきりさせたい、時期を見て訴追委員会に提訴したいと思つている旨談話し、ここに道村博及び同社地方版編集主任川越義満らと順次犯意を共通し、前記証拠調の前日である同月三十日付毎日新聞第二八九三六号千葉版に「高裁近く現地で証人訊問」と横に大標題を掲げ、その下に「養老の子守殺し事件」と副題を設け、さらに縦に六段抜きに弁護人側デツチ上げを主張」と記し、中見出しに三段抜きにて「裁判長取調官と取引」「責められウソ自供」と断定した見出しを掲げ、前記伊東勝の控訴趣意書に記載されている「四月三十日結審となり、二ヵ月延びて六月二十九日判決となつた。判決のあつた一週間ほど前どういう意味か県警本部捜査課(本件を実際に担当して私たちを無理な取調をしたI、J警部補が勤務している)が主催で判決をしたA裁判長との会合がもたれ、その席上捜査課長と思われる人がA裁判長に対し本事件の審理内容について質問があつたということだ。その結果A裁判長は本件は仕方ないがこれからは取調の時間を記載するよう内通した。そのため県警はただちにこの事件で問題となつている警察での取調時間を今後記録しておくように各警察に通達した事実がある。これは六月二十九日の判決でA裁判長は『本件は自白の任意性が相当問題となつている。大きな声でどなつたとかいう心理的な拷問は認められるが、暴力による拷問は認めない。ただ、問題は深夜にわたつて警官が取調べを続けたかどうかという点であるが、警察では時間を記載するようなことはない。』といつている点から裁判長が取調官に対し事件の内容を取引した疑いがある。」と叙述した記事を掲載したうえ、その末尾に「裁判の威信にかかる」という中見出しの下に「D主任弁護士談」として「この事件は全くのえん罪である。第一審判決直前裁判長が拷問をやつた取調官たちと会合している。どんな話をしたかわからないが実に問題だ。このことは日本の裁判の威信のためにもはつきりさせたい。高裁の審理とは別に時期を見て訴追委員会に提訴したいと思つている。」と記載し、読者をして恰も裁判長Aが前記伊東勝の控訴趣意書の記事に符合する会合等をなし、裁判の威信を傷つけ、訴追委員会に提訴するに足る非行をなしたものと印象づける如き虚構の事実を掲載し、約十二万部印刷のうえその頃千葉県下の不特定多数の読者に配付し、もつて公然Aの名誉を毀損したものである。

二、本件新聞記事の内容とその印刷配布の事実

よつてまず本件新聞記事の内容とその印刷配布の事実を証拠に基き検討する。

(一)  昭和三十一年十一月三十日付毎日新聞第二八九三六号第九版(昭和三十三年証第四七六号の二)の第八頁を視ると、同頁の右上端には「千葉版(2)」と記載してあつて、右は、同新聞千葉版の第二版であることを示すものであるが(第八回公判調書中証人川越義満の供述記載、なお、以下活字や文字の大きさ等についても右供述記載に拠る)、同頁右側最上部に地紋入り七倍活字ぐらいの文字で「高裁、近く現地で証人尋問」という横書きの大標題が掲げられ、その下に三倍のゴチツク体活字で「養老の子守殺し事件」という横書きの副題を添え、その下の右側に「弁護人側デツチ上げを主張」「一審は一家謀殺で有罪」という縦書き二行の六段抜き大見出し(「デツチ上げを主張」という部分は六倍活字、「一審は一家謀殺で有罪」の部分は四倍活字)があり、これに続く該当記事として、まず四段抜きで、「『養老の子守殺し事件について千葉地裁で行われた第一審判決は裁判長が判決直前、警察取調官と事件の内容を取引した疑いがある。しかも事件は警察官の拷問によつてねつ造されたもので他に例をみないえん罪である』という弁護人側の控訴趣意書に基き東京高裁第五刑事部では、甲裁判長、乙、丙両判事らが、来月一、二日の両日市原署五井警部補派出所に出張、現場の検証を行うとともに取調警察官七名を含む二十二名の証人尋問を行うことになつた。」という前文が掲げられ、次にこれを受けて、「事件ははじめから自他殺がはつきりせず、警察での自白調書以外全く物的証拠がなく、弁護人側は“第二の八海事件である”と強く主張しているだけにその成行が注目されている」との書出しで、同事件についての捜査開始以来第一審判決に至るまでの経緯のあらまし、同判決において右被告人ら三名が有罪と断定されるに至つた主要な理由及びこれに対する弁護人側の反論の要旨等が記載され、さらに続いて「裁判長 取調官と取引き」 という三段抜き中見出し(「裁判長」の部分は、三倍ゴチツク活字、「取調官と取引き」の部分は、四倍ゴチツク活字)があつて、その記事内容として、「さらに伊東勝提出の控訴趣意書では、“判検事合作で私を無実の罪に陥れた”として〈1〉四月三十日結審となり二ヵ月延びて六月二十九日判決となつた。判決のあつた一週間ほど前、どういう意味か県警本部捜査課(本件を実際に担当して私たちを無理な取調べをしたI、J警部補が勤務している)が主催で、判決をしたA裁判長との会合がもたれ、その席上捜査課長と思われる人がA裁判長に対し、本事件の審理の内容について質問があつたということだ。その結果A裁判長は本件は仕方ないが、これからは取調べの時間を記載するよう内通した。そのため県警ではただちにこの事件で問題となつている警察での取調時間を今後記録しておくように各警察に通達した事実がある。これは六月二十九日の判決でA裁判長は『本件は自白の任意性が相当問題となつている。大きな声でどなつたとかいう心理的な拷問は認めるが暴力による拷問は認めない。ただ問題は深夜にわたつて警官が取調を続けたかどうかという点であるが、警察では時間を記載するようなことはない』といつている点から、裁判長が取調官に対し事件の内容を取引きした疑いがある。〈2〉昨年十二月末本件の審理中千葉で判事、検事、弁護士の三者合同会議があつた際、A裁判長は協議事項として捜査本部まで設けた事件であるが、だれが中心で捜査したか判らない。検察官として証拠の提出について考慮すべき点はないか」と明かに事件を指して説明し「検事の出すべき所でないのに、検事側で証人(谷古宇、花崎をさす)を出し、これが破れてしまつている。そうすればどうしても無罪となつてしまうではないか。経験の浅い検事には無理かも知れないが」といい、これに対しH次席検事は「色々と証拠の不十分な点もありましようが、なるたけそういう場合は有罪にしてもらいたい」というような趣旨のことをのべている。審理中の事件について第三者の批判さえ許さないという裁判長が審理中の事件について暗示するようなことは誠に不見識極まると非難している。」との記載があり、そのあとに、「責められウソ自供」「勝ら訴う昼夜ぶつ通し取調べ」という縦三段抜き中見出し(「責められウソ自供」の部分は、五倍活字)のもとに、伊東勝ら三名の被告人が取調べの警察官からうけたと主張している拷問の内容が詳細、具体的に記載され、なお、これに続いて、「“事件について話さない”」という四倍活字による三段抜きの中見出しが掲げられ、その内容として、順次「A裁判長談」、「K警視正(当事刑事部長)の話」、「L県警本部長談」と題してそれぞれの談話記事があり、次いで「裁判の威信にかかる」という小見出しのもとに、「D主任弁護士談」と題し、「この事件は全くのえん罪である。第一審判決直前裁判長が拷問をやつた取調官たちと会合している。どんな話をしたか分らないが、実に問題だ。このことは日本の裁判の威信のためにもはつきりさせたい。高裁の審理とは別に時期を見て訴追委員会に提訴したいと思つている(ただし、原文では最後の「る」の字が脱落している)」との談話内容が記載され、最後に、「東京高裁刑事五部の話」と題して簡単な談話記事が掲載されていることが認められるし、また、

(二)  昭和三十一年十一月三十日付毎日新聞第二八九三六号第十二版(前同証号の一)の第八頁を視ると、同頁の右上端には「千葉版(3)」と記載してあつて、右は、同新聞千葉版の第三版であることを示すものであつて(第八回公判調書中証人川越義満の供述記載)、同頁には前認定と同一内容の記事が同一の体裁様式のもとに掲載されているほか、その末尾(前記東京高裁刑事五部の談話記事のあと)に「県警本部捜査一課M次席談」として、「捜査一課が裁判官と座談会を開いたのは二月二十四日、警察官と令状請求についてご意見を聞かせてほしいということで○○○○荘で開いたものだ、内容は令状請求についての注意が主で養老の問題などについては一言も出なかつた」との同人の談話記事が追加掲載されていることが認められる。

(三)  しこうして、他方、前掲証人川越義満の供述記載と第七回公判調書中証人杉浦克已の供述記載とを綜合すると、前認定の各記事が掲載された毎日新聞千葉版第二版及び第三版の印刷発行部数は、合計約十万部ぐらいで、これらは、すべて、同新聞東京本社から鉄道便で千葉県下の各新聞販売店に送られ、右昭和三十一年十一月三十日当日、同販売店等を通じて同県下の不特定多数の読者に販売配布されていることを推認するに難くない。

三、右記事の取材と編集の経過

(一)  よつて次に、上記二認定の各記事が、当時、何人により、いかにして取材、送稿され、また、編集せられたかを証拠(後記(二))によつて判断すると、大要次の経緯を認めることができる。

(1)  養老村事件の概要について

いわゆる養老村事件(又は養老の子守殺し事件)というのは、昭和二十九年十月八日千葉地方裁判所に起訴された伊東勝に対する傷害致死並びに死体遺棄、伊東郡司及び伊東新一に対する死体遺棄被告事件のことであつて、同被告事件の概要は公訴事実によると、昭和二十八年十二月十八日午後七時頃伊東勝は、千葉県市原郡養老村桶七百三十七番地の自宅で、かねて子守として雇傭中の高橋和子(当時十六年十月)が従来しばしば反抗的な態度をとり、当夜も「丈司(勝の長男で当時一年五ヵ月)など可愛くない、手拭で首を縛り叩きつければ死んでしまう」などと暴言したまま、土間に立ちすくんでいたのに憤慨し、右手拳で同女の顔面を数回殴打したところ、同女がその場に倒れて大声で泣き叫んだので、世間態を恥ぢその騒ぎを阻止しようとして、更に同女の頸部を両手で扼したため、右和子をしてその場において窒息死亡するに至らしめたが、その死体の措置に窮した結果、実父の伊東郡司及び実弟の伊東新一の両名と共謀の上、同日午後九時三十分頃右和子の死体を同村桶七百三十四番地伊東忠久方宅地内の貯水池に投入したというのであるが、同被告事件については、千葉地方裁判所裁判官(裁判長)A、裁判官B、裁判官Cの三名をもつて構成された同裁判所刑事第一部においてその審理を担当し、昭和二十九年十一月二十二日第一回公判開廷以来、前後十八回の公判審理を重ねた結果、昭和三十一年四月十六日の第十八回公判で結審となり、判決言渡期日を二回延期した後、同年六月二十九日第十九回公判において右被告人ら三名に対しいずれも有罪判決(伊東勝に対しては懲役二年、伊東郡司に対しては懲役十月、伊東新一に対しては懲役八月二年間刑の執行猶予)の言渡がなされ、これに対してはいずれも被告人ら側から控訴の申立をしたが、東京高等裁判所で控訴棄却の判決を受け、目下同事件は、最高裁判所に係属中であること、被告人は、千葉弁護士会所属の弁護士であつて同僚の弁護士d、fの両名とともに右伊東勝ら三名のための弁護を担当し、第一審以来主任弁護人として活動していたものであること、しこうして右被告人ら三名は、公判廷においていずれも従前の自供をひるがえして強くその犯行を否認し、終始そのえん罪であることを主張し続けており、他方弁護人側においても、またこれに相呼応し、右被告人らの警察官に対する自白調書は、警察において夜半過ぎ三時頃迄も続けられた苛酷な取調べや、その他言語に絶する脅迫、誘導、詐術等の手段を施して作成されたものであるから任意性を欠くものである旨を強調し、(なお、本件捜査の途中、父親の郡司が警察の留置場で自殺を計つたが、目的を遂げなかつたという出来事もあつた)その結果、被告人らの取調にあたつた警察官四名が法廷に喚問せられて弁護人側より熾烈な反対尋問を受けるなど緊張した場面を展開したことも一再ならずあつたうえに、重要な証拠物件と認められる前記貯水池上にあつた孟宗竹製の蓋が警察側の手落ちで毀損され、原状の再現が不可能となつたことや、また、和子の死因についても法医学上自他殺の区別すら明らかにならない等の事情もあつて、事案の決着は一にかかつて微妙な情況証拠の判断いかんにあるものとして、同事件審理の成行きについては、所轄捜査当局である千葉県警察本部にあつてはもち論、その他関係新聞筋等ひろく世人の注目を集めていたものであること。

(2)  道村博の取材活動と被告人Dのこれに関与した程度

(イ) 道村博は、昭和二十四年十二月以来毎日新聞千葉支局に社会部記者として勤務し、警察、検察庁及び裁判所方面の記事取材を担当していたもので、伊東勝ほか二名にかかる前記傷害致死等被告事件(以下養老村事件と呼ぶ)については、その成行きを特に注視し、すでに第一審判決のあつた翌日である昭和三十一年六月三十日付毎日新聞千葉版には、「自供を唯一の手がかり」「子守殺し事件判決“デツチあげ”認めず」という標題のもとにかなり詳細な判決報道記事(因に、この記事の末尾には、結論として、「結局この判決は被告の自供を唯一の手がかりとしているといつてよく、他殺と断定する物的証拠で、これという決定的なものは一つもないわけである」との記載がある)を掲載していたものであること。

(ロ) その後、右道村記者は、昭和三十一年十一月下旬頃たまたま西千葉駅付近下り国電車中で遭遇した被告人から養老村事件に付ては来る十二月一、二日頃東京高等裁判所が現場検証に来る由を聞知するに及びこの際改めて右事件に付取材報道しようと思い立ち、同年十一月二十六、七日頃、取敢えず被告人宅に電話して、被告人より控訴審における争点の内容等を確かめたが、たまたまその頃入手した養老村事件の被告人伊東勝ほか二名の各本人の控訴趣意書の写し各一通づつ計三通と主任弁護人たる被告人及びf弁護士共同作成の控訴趣意書の写し一通、及びd弁護士作成の控訴趣意書の写し一通等を検討した結果、意外にも伊東勝本人の控訴趣意書中に別紙記載のような、右事件の審理に当つたA裁判長と県警本部捜査課員との会合の事実を暴露し、かつ、これを非難する文字等がつらねてあるのを発見し、養老村事件の取材活動上特にこの点を重視するに至つたこと。

(ハ) そこで、道村記者は、右会合の有無を確めるため同月二十八日夜千葉市内にある毎日新聞千葉支局から被告人宅に電話して、直接被告人に対し「勝の控訴趣意書には、裁判官が取調べをした警察官と会合を持つたとか、取引きした疑いがあるとか書いてあるが、間違いないか」という趣旨の質問をしたところ、被告人が「間違いない」と言うので、さらにその話しの出所に付き追究をかさねた結果、ようやく被告人から、「裁判官の直系の書記の人から聞いたんだから間違いない」との趣旨の回答を得たが、なお、その際右控訴趣意書に書いてあるような通牒が流されているということも被告人から聞知していたこと。(右のほか、なお、道村記者が、同夜同じく千葉支局に勤務する吉野正弘記者を伴つて被告人宅を訪れた形跡はあるが、その際果して被告人と面接したかどうかは不明である)

(ニ) よつて、道村記者は、さらに右会合の日時、場所及び会合の目的等につき関係方面からの裏付けを得ようと考え、翌二十九日、千葉地方裁判所に赴いて、養老村事件を担当したE書記官に対し、「養老村事件の判決の言渡が延期になる一週間前頃(または、判決言渡の一週間ぐらい前の頃)その事件について警察官側と会合したことがないか、実は、D弁護士がこのことは書記官が知つている筈だからと言つたので来たのだが」と尋ねたところ、同書記官においては「記憶がない」旨を答えたこと、さらに県警本部会計課長に会合費用の面から、捜査一課の会合の有無を間接的に尋ねてみたが、全くわからないとのことであつたこと。

そこでこんどは、警察の会合に屡々利用される二、三の料理店などについて電話で問い合わせてみると、警察寮となつている「○○○○荘」から五月八日か二月頃捜査一課の会合が同所で催されたが裁判長が来たかどうかはわからないとの返事を得たこと、ついで同日昼頃県警本部捜査一課に赴いて同課長N某その他の警察官に対して被疑者の取調時間を記録するようにという趣旨の通牒を警察に流したかどうかの点を尋ねてみたが、これまた要領を得ずに終つてしまつたこと、その後、A裁判長の自宅に電話し、警察と会合して養老村事件について話したかどうかを質問したところ、同人から「時期は覚えていないが、県警本部からいろいろ意見を聞きたいからという話があつたので、警察寮○○○○荘でK刑事部長、P捜査一課長らほか多数の警察官と座談会をやつたことがある。私のほか刑事関係の判事も出席したと思う。具体的事件については話さないが、一般論として取調べの時間をはつきり記録しておいたほうが良いというようなことは言つたかも知れない。しかし、判決について有罪にしてくれと頼まれたこともないし、あの事件そのものについては何も話さない、うんぬん」という趣旨の回答があつたこと、また、L県警本部長に対し、電話で同様の質問をしたところ、同人からは「会合したという事実は知らない、養老村事件は直接のきめ手となるような証拠はなかつたが、捜査官たちは十分自信を持つていた。判決直前に裁判官に頼むなどということは常識としてもできるわけがない」という趣旨の返答があつたこと、ついで、元県警本部刑事部長で当時千葉の警察学校長であつたKに対し電話で同様の質問をしたところ、同人からは「座談会は当時のP課長の企画で捜査一課が中心となつて行われたものだ捜査全般特に逮捕状とか少年犯罪の問題などが中心だつたと思う。時期は自分が五月三十一日付で転任したのだから、それよりも前だつたと思う。養老事件についての話は出なかつた」という趣旨の回答を得たこと。

(ホ) そこで道村記者は、同日(昭和三十一年十一月二十九日)午後五時頃、かさねて千葉支局よりD宅に電話して被告人に対し「いろいろ調べてみたところ、会合はあつたようだが、それは令状の問題だつたというが、どうなんだ」と尋ねたところ、被告人は、「それは、令状の問題かどうかは知らないが、裁判官がそういうところに出るのはおかしい。また警察も令状の問題なら検察官に教わるべきじやないか。検事を抜きにして会つたということは前例はないでしよう。よしんば令状の問題だとしても非常に大きな問題だ。一番最初に人権の問題に関することだ。裁判官と警察が会合することは問題じやないか」というので、さらに、道村記者が「この問題はどうするんですか」と聞いたところ、被告人は、「非常に大きな問題だ、時期はいつということはあれだが、被告人本人とも相談して訴追委員会に出してはつきりさせたい」という趣旨の返答をしたこと。

(ヘ) そこで道村記者としては伊東勝の控訴趣意書に記載されてある養老村事件の裁判長Aと県警本部捜査一課との会合の催された日時並びにその目的などの点について未だはつきりしたところをつかみ得なかつたのではあるが、とにかく右会合についての報道を含めた養老村事件に関する一連の取材記事を前記東京高等裁判所の実地検証の行われる前日である同年十一月三十日の毎日新聞千葉版第二版に間に合わせんがため、一応探査をこの程度で打ち切ることとして、直ちに同新聞千葉支局において、かねてより手もとに取り揃えておいた右事件の第一審判決書謄本一通及び前掲各控訴趣意書写計五通ならびに被告人を含む前記各関係人よりの応答要領のメモ等を資料として、前記各見出しの部分と「東京高裁刑事五部の話」と題する談話記事の部分とを除き、その余は、すべて前記二認定の記事と同一内容の原稿を執筆作成したうえ、同日午後七時頃、前記千葉支局長杉浦克己の校閲を経てこれをモノタイプにより毎日新聞東京本社編集局に電送したこと。

(ト) しこうして、道村記者は、右送稿直後、なお、念のため、県警本部捜査一課次席M方自宅に電話して同人と打合わせのうえ、同日午後七、八時頃右捜査一課に赴いて同次席に確かめたところ、わざわざ関係書類まで持ち出して調べてくれた同人が、「会合は二月二十四日で、裁判官と令状の研究会を持つたのだ。テープレコードもとつた。五月八日はデカ長との会議だ」とはつきりした返答をしたので、急きよ支局に引き返した道村記者は、直ちにD宅に電話して被告人を呼び出し、「捜査一課との会合は、二月二十四日○○○○荘で行われたことをつきとめました。……二月二十四日だとするとどんなものでしようか」と言つて、その意見を求めたところ、これに対して被告人が「二月二十四日だとすると養老村事件の取調べに当つた捜査第一課のI、Jの二人を証人として調べたころか、……困るね、(又は面白くないね)」などという趣旨の返事をしていること。

(チ) しかし、このような経緯によつてA裁判長と捜査一課との会合の催された日時が昭和三十一年二月二十四日であることを推知した道村記者は、前記被告人との電話連絡後直ちに千葉支局において県警本部捜査一課M次席の談話として「捜査一課が裁判官と座談会を開いたのは二月二十四日で令状請求について裁判官の意見を聞く目的で行われたもので、養老村事件の問題にはふれていない」旨の記事原稿を作成したうえ、前記十一月三十日付毎日新聞千葉版第三版に間に合わせるべく、前同様の方法によつて急きよこれを東京本社編集局に電送したこと。

(3)  川越編集主任の編集

他方、毎日新聞東京本社編集局地方部千葉版編集主任として送付されて来た記事原稿を査閲して、新聞記事として掲載すべきか否かについての取捨選択を行い、記事として掲載する場合には、その体裁、配列ないし表現方法等を考慮按配し、かつ、その記事内容に相当する見出しを付けるなどの権限を有する川越義満が、前記電送にかかる道村記者の記事原稿を受領するや、その内容を閲読諒知しながらこれをそのまま記事として採用し、かつ、右会合に関する記事の冒頭には「裁判長取調官と取引き」という一見断定的な三段抜き中見出しを付けるなどして、これを前認定のような形式内容の記事として編集のうえ、印刷に付する手配をなし、その結果、昭和三十一年十一月三十日付毎日新聞千葉版第二版及び第三版が前記二(三)認定のように印刷配布されるに至つたこと(ただし、同新聞記事中「東京高裁刑事五部の話」と題する談話記事の部分は、東京本社において直接取材のうえ掲載されたものであること)。

(中略)

ちなみに、昭和三十一年十一月三十日付毎日新聞千葉版第二版及び第三版(前同証号の二及び一)のD談話記事中には「第一審判決直前裁判官が拷問をやつた取調官たちと会合している云々」という記載があり、ここに現われた判決直前という言葉は、本件記事の冒頭にある四段抜き四行の前文中の「養老の子守殺し事件について千葉地裁で行われた第一審判決は裁判長が判決直前警察取調官と事件の内容を取引した疑いがある。……」という弁護人側の控訴趣意書に基き云々という箇所の同一用語と相まつて、本件会合取引の記事につき読者に特に強い印象を与える役割を果すものであるが(前記二の(一)参照)、被告人が前記昭和三十一年十一月二十九日午後五時頃の電話応答において、果してかかる表現を用いたものであるか否かの点につき考えるのに、道村博の検察官に対する前掲昭和三十一年二月十日付供述調書中には、右日時の電話の際同人が被告人から聞いた言葉の内容として「それは令状の問題かどうかは知らないが、公判直前に裁判官がそういうところに出るのはおかしい……(以下前認定のとおり)……」という記載があるけれども、被告人は、前掲千葉弁護士会綱紀委員会調査委員に宛てた回答書中において(同回答書第三点参照)「判決前」とは言つたかも知れないが、判決直前という如き言辞をなすいわれはない。「直前」を除けば右談話記事は趣旨において大異はないと述べており、また、道村記者は、証人として本件の公判廷に臨んだ際、この点に関する検察官の尋問に対し、「Dさんはたしか前というふうに」と答え、「前とは」とさらに問われて「直前というふうに話したんです、私に」と答えているが(第七回公判調書)、その後弁護人の被告人が直前という言葉を使つたかどうか、という問に対して、「その点ですが、私としては書いたんですから、そういうふうに言われたと思います。」と答え、さらに「断言できるか。」という問に対して「はつきり断言できません。」と答え、さらに後には、「どういう言葉で言われたかということについてははつきりした記憶がないが、趣旨としてはそういうふうに私は感じました。」と述べておることに徴し、果して被告人が「判決直前」という言葉を使用したかどうかについては必らずしも十分な裏付けがあるものとは認め難く、むしろ勝の控訴趣意書中の会合に関する記載自体から右会合の日時が判決の日の約一週間前と推量できる点からして(この点については、前掲昭和三十一年六月十八日付朝日新聞の写真をも参照、なお、道村記者は勝の控訴趣意書中の会合の日時の要約として「判決のあつた一週間ほど前」と記事に記載している)、道村記者としては、右会合の日時につき、端的に「判決直前」という印象をうけ、これが一つの先入感となつて、D主任弁護士談の記事に自ら表われたものとみるのを相当する。しこうして、この消息は右「判決直前」なる表現がひとり右談話記事のなかに用いられているのみならず、本件記事中の他の二箇所にも(記事冒頭の四段抜き四行にわたる前文第一行目とL県警本部長談の第八行目)用いられていることに徴しても十分首肯できるところである。

四、本件記事がAの名誉を毀損するものであるかどうかについての判断

よつて、つぎに、右認定のような経緯によつて取材編集された本件記事内容が、果してAの名誉を毀損するものと認められるかどうかの点について判断する。

名誉毀損罪において保護の対象となつているいわゆる名誉なるものが、人の社会的評価又は価値ないし社会上の地位を指称するものであるということに付ては、判例、学説上ほとんど異論を見ないところであるし、また、人の名誉を「毀損する」ということは、公然人の社会的地位を損うに足りる具体的事実を摘示して、名誉低下の危険を発生させれば足りるのであつて、現実にその者の社会的地位が傷つけられたことを必要としないものであるということも、通説上是認されているところである。いまかかる観点から前掲昭和三十一年十一月三十日付毎日新聞千葉版第二版及び第三版中の本件関係記事を通読するに、これらの記事の配列順序並びにその内容の概略は、前記二(一)(二)に述べたとおりであるが、そのうち本件の訴因として挙げられている「裁判長取調官と取引き」なる中見出しは、それになんらの註釈的副題をも添えられてはおらず(因に次段の「責められウソ自供」という見出しの副題である「昼夜ぶつ通し取調べ」のところにはその上部に「勝ら訴う」という註釈的な文言がかぶせられている)、また、特に引用符ないし疑問符などもつけられずに全く断定的な形をとつているため、著しく読者の目を驚かし、これに刺激的な印象を与えるものであることは否定できないし、さらにこれにつづく本文の記事も、また、なるほどそれが専ら当該事件における被告人のひとりである伊東勝本人の控訴趣意書中にある言葉を引用摘記するという形で書かれてはいるけれども、これを一読した一般読者をして、事件の審理を担当している裁判長が、その事件の捜査に当り拷問的な取調べをしたということで被告人側から攻撃されている所轄警察当局者と判決言渡前に会合し、その席上警察における取調時間の問題等当該事件の審理内容についても警察側との間に相当立ち入つた質疑応答が行われ、それがひいて裁判の結果に影響を及ぼしているのではないかという一抹の不安ないし疑惑を抱かしめる虞れなしとはいえないのみならず、殊に後段に掲載してある「D主任弁護士談」と題する前記談話記事は、前段所掲の右記事内容と相俟つて、いよいよA裁判長の非行に対する一般読者の疑念を深からしめる危険性があるものと考えざるを得ないであろう。もつとも、右会合に関するひとこまの記事は、それ自体決して孤立したものではなくして他の記事との関連において意味を持つものである。すなわちこの記事も他の記事と同様、養老村事件に関して行われる東京高等裁判所の実地検証並びに証人尋問を目前に控えてのこの際、一応ふり返つて同事件のそれまでの経過や、また、控訴審における事件の争点等を解説してこれを読者に知らしめんがため執筆掲載された客観的な報道記事の一部に過ぎないから、名誉毀損の問題は起り得ないとの見方をするものもあるかも知れないが(第七回及び第八回公判調書中証人道村博の供述記載参照)、もし、そうであるとすれば、何故にわが国の代表紙の一である毎日新聞が、前認定の如く、多数の会合関係者の談話記事までを収集掲載する必要があつたのであるかが理解しがたいことになろうし、そもそも、また、ある新聞記事が人の名誉を毀損するものであるかどうかは、その記事内容が一般読者にいかなる印象を与えるかということを標準として判定さるべきものであつて、その記事の執筆者等に人の名誉を毀損しようという目的意思があつたかどうかは、これにかかわりないものというべきであるから、いずれにしても右の見解には左担するわけにいかない。かように考えてくると前認定の新聞記事のうち、「裁判長取調官と取引き」という見出しとこれにつづく前記会合に関する記事ならびに「裁判の威信にかかる」という小見出しにつづくD主任弁護士談の記事は、いずれも相まつてAの裁判官としての社会的評価を著しく損うに足る具体的事実を摘示して同人の名誉を低下させる危険を生ぜしめるような内容を包含しているものといわなければならない。

五、共謀についての判断

さて次に、叙上のような経緯からしてAの名誉を毀損するような記事が新聞紙上に執筆掲載され、かつこれが頒布されたことについて、被告人としてはいかなる責任を負うべき立場にあるものと認められるかを判断する。

(一)  まず、その前提として、道村博記者と川越義満編集主任両名の関係を考えてみると、前認定の事実関係からすれば、道村は、新聞記者として自ら取材のうえ前認定のような内容を含む記事原稿を作成して、これを川越編集主任のもとに送稿し、次いで、川越は、編集主任として道村から電送してきた右原稿を受領し、自らその内容を点検してこれに所要の見出しをつけ、記事の順序等を按配編集のうえ、これを印刷に付する手配などをしているのであるから、右両名はいずれも前記記事原稿の内容がAの名誉を毀損するものであることを認識しながら、一定の職制機構により相結ばれ、その実行行為の主要部分を共同分担して本件名誉毀損の結果を生ぜしめたものと解せられるので、もし、これにつき責任を負担すべきものとすれば、ともに共同正犯者としての関係に立つものといわなければならない。

(二)  よつて次に、被告人が、検察官主張のように、右道村記者と共謀による共同正犯としての関係にあるものと認められるかどうかを考えてみると、

(1)  証拠上確認のできる範囲内で、本件被告人の言動のうち道村記者の前記会合の記事についての取材活動に直接の関係があると思われるものは、昭和三十一年十一月二十八日夜と同月二十九日午後五時頃及び同日午後八時頃の前後三回にわたつて同記者との間になされた比較的短時間の電話応答を措いてほかにはなく(しかも、このうち、最後の電話応答は、道村記者が前記千葉版第二版の締切時刻に間に合わせるべく急きよ本件会合に関する記事及び被告人本人の談話記事等を執筆送稿した後でなされているものである)(なお、道村博の検察官に対する昭和三十二年五月十三日付及び同年六月二十七日付各供述調書によれば、伊東勝の控訴趣意書等を道村に交付したのも実は被告人本人のはからいではないかとの疑いを挿む余地がないわけでもないようであるが、未だこれを確認するに足る証拠はない)しこうして、これらの電話応答の際、被告人としては、毎日新聞記者たる右道村が伊東勝本人の控訴趣意書中に記載してあるA裁判長と捜査一課との会合等に関する記事取材のため電話による探訪を行つているものであり、従つてこれに対する自己の応答内容があるいはなんらかの形で右新聞に掲載報道されるかもしれないということを察知していたものと推認されることは後記六記載のとおりであるが、右前後三回にわたる電話連絡は、いずれも、道村側から被告人あてになされているものであつて、被告人としては、その都度、全く受動的に受け答えをしていたものと認めるのほかなく、その間被告人の側から積極的に右会合に関する記事を提供したとか、あるいはこれを新聞紙に掲載してもらうよう暗に慫慂したとかいう形跡はもちろん、被告人が暗黙の間に右道村と結托し、一心同体となつて同人の取材活動を利用し、よつてもつて自己の意図を実行に移そうとしていた事跡も、また、証拠上確認することができないこと。

(2)  もつとも、検察官は、被告人が伊東勝の控訴趣意書に記載されているような会合の件を知つたのは、朝日新聞千葉支局勤務の記者中根一郎からその話を聞いたからであるにもかかわらず、昭和三十一年十一月二十八日夜の電話で道村に対し、「裁判官の直系の書記の人から聞いたんだから間違いない」旨を答えているのは、もし「朝日新聞の記者から聞いた」といえば道村記事が新聞記事にしないことをおそれ、ことさらにニユース源を祕匿して同人の取材意慾を刺激しようとしたものである旨主張するので、一応、この点についても検討を加えてみると、なるほど被告人が右電話の際道村から情報の出所を問いつめられた結果、「裁判官の直系の書記の人から聞いたんだから間違いない」旨答えていることは前認定のとおりであり、また、第六回公判調書中証人中根一郎の供述記載、同人の検察官に対する昭和三十二年二月十四日付供述調書、被告人の当公判廷における供述及び昭和三十一年六月十八日付朝日新聞の写真(前同証号の八)を綜合すれば、被告人が捜査一課とA裁判長との会合の事実を知り得たのは、養老村事件についての第一審判決のあつた当日である昭和三十一年六月二十九日かその翌日頃千葉地方裁判所構内にある弁護士控室で前記朝日新聞の記者中根一郎から、「自分が朝日新聞(同年六月十八日付)に養老村事件の判決言渡が二回延期された旨の記事を出した二三日後警察を廻つていた際、本部の課長と思われる人から聞いた話だが、『裁判官と警察で会議を開いた際、警察がAさんから、刑務所では時間を記入しているが、警察でも時間を記入しておいた方がよいじやないか』と言われたことがあり、その後本部から警察にその趣旨の通牒を流したらしい。」ということを告げられたことに由来するものであり、その後、さらに被告人から右通牒発付の事実確認方とその写しの入手方を中根記者に依頼したところ、後日、同記者から「通牒の流れていることは事実だが、写しは入手できなかつた」旨の返答をうけたが、被告人としては、その頃から右会合及び通牒発付の事実を真実なりと思い込むようになつた這般の消息を認めることができるけれども、他方、被告人は当公判廷で、自分が道村記者に対し、中根記者から聞いたということを教えなかつた理由は、毎日と朝日とは競争紙という間柄であるのみならず、右両記者が取材の件について不和の関係にあるということを自分が承知していたからであつて、別段他意はなかつた旨を弁明しており、その言うところはあながち納得できないものでもないのみならず、また、たとえ被告人が自己の有する情報の出所をできるだけ確実なものに思わせようとの気構えからとつさの間に道村に対し前記のような言葉を付け加えたものとしても、かかる心理は、多かれ少なかれ一般人に共通のものと思われるので、かような事実があつたからといつて、当時、被告人がことさらニユース源を祕匿し道村の取材意欲を刺激しようというほどの深い意図を持つていたと断ずることは、いささか早計に失する嫌いがあるといわざるを得ないから、いずれにしても、検察官の右主張は、これを容れることができないこと。

(3)  なお、また、検察官は、伊東勝の控訴趣意書は、その実、勝本人が単独で作成したものでなくして、被告人自らがその作成に関与した形跡があると主張し、るるその理由を列挙しているが、思うに、右検察官主張の趣旨は、要するに、これにより本件名誉毀損についての被告人の共謀犯意の存在を裏付けようとするに帰着するものと解せられるところ、この点につき、被告人本人及び証人伊東勝の当公判廷における各供述によれば、右伊東勝の控訴趣意書は、昭和三十一年八月下旬頃から同年九月十四日(東京高等裁判所への控訴趣意書の提出期限は、同月十五日)頃までの間に作成されたものであることを推認することができるのであるから、仮に、検察官所論のとおり、当時被告人において右勝の控訴趣意書の作成につき自ら関与した事実があつたとしても、このこと自体からして、当時、既に被告人が右控訴趣意書を将来新聞に公表しようとか、あるいはこれを新聞記者の取材活動に利用しようとかいう意図を持つていたものと推量することは、とうてい不可能なことであり、また、かかる推量を裏付けるに足るなんらの証拠も発見することができないのであるから、検察官の右主張は、もとより採用するによしなきものといわなければならないこと。

以上説示したところにより、被告人を本件名誉毀損の行為について共謀による共同正犯の関係にあるものとすることのできなないことは明らかである。

六、教唆及び幇助についての判断

そこで、次に、被告人が本件につき教唆犯もしくは従犯としての地位にあるものと認められるべきものであるかどうかの点について考えてみると、第七回及び第八回公判調書中の証人道村博の供述記載や、殊に従来新聞記者として被告人とは別段親しい個人的な交際もなかつた右道村博が、前叙のとおり、養老村事件につき予定されている東京高等裁判所の実地検証並びに証人尋問の期日を目前に控えた折も折、伊東勝の控訴趣意書中に記載してあるA裁判長と警察官との会合の件に関して一度ならず二度までも繰り返えし被告人に対し執拗な質問を続けていたこと(十一月二十八日夜と翌二十九日午後五時頃の電話連絡)等の状況に徴すれば、たとえ右電話連絡の際、道村において被告人の応答の要旨を談話記事として取材することあるべき旨をことさら被告人には告げなかつたにもせよ、多年弁護士としての経験をかさね世情にも通暁していると思われる被告人としては、他に特別の事情なき限りその道村の質問が決して単なる好奇心や世間話のためになされているわけではなくして、ほかならぬ記者本来の仕事たる取材活動の一環として行われているものであり、従つてこれに対する自己の応答内容があるいは取材され、なんらかの形式で新聞に掲載されるかもしれないということに思い到つていたものと推認するのを相当とするのであるが、他方、道村においては、既にそれ以前より養老村事件に関する記事の一環として右会合の件をも取材しようとの意図を持つていたものであり、叙上二回にわたる被告人との電話連絡も、畢竟その裏付け調査の一過程としてなされたものと認められるのであつて、その際、被告人としては、問われるままにあれこれ応答を繰り返していたに過ぎず、格別道村記者の取材活動を利用しようとか、あるいは右会合の事実を新聞紙に掲載させようとして積極的に同人にその事実を告げ、暗にこれが取材の慫慂に努めたとかいう事跡を確認し得ないことは既に前段五においても説示したとおりであるから、これらの諸点を綜合すれば、本件における被告人の立場は、道村記者に対する関係においてこれを教唆犯と見るよりもむしろ従犯として理解するのを相当と考える。

七、真実の証明について

(一)  刑法第二百三十条の二第三項の法意と証明すべき事実の範囲について

刑法第二百三十条の二第三項は、公然事実を摘示し人の名誉を毀損する行為であつても「公務員又は公選に依る公務員の候補者に関する事実に係るときは、事実の真否を判断し真実なることの証明ありたるときは之を罰せず」と規定している。しこうして、本件摘示事実は、裁判官に関する事実であつて、裁判官も、また、同条項にいわゆる公務員であることは勿論であるから、以下、本件につき、真実の証明があるかどうかを考察することとする。

おもうに、右刑法第二百三十条の二第三項の規定は、公務員の名誉毀損について同条第一項所定の原則に対する特例を設けたもので、その趣旨とするところは、要するに、新憲法下における公務員が国民全体の奉仕者として、他に比して一段と高い人格、識見、能力と、また、これに伴う厳正な行動とを要請されており、あらゆる面において国民の自由な批判に耐え、いやしくも全体の奉仕者としての地位をおとしめることのないよう不断の反省練磨をかさねていかなければならないことに鑑み、ある事実を摘示されることによつて公務員の名誉感情が毀損された場合にも、摘示事実の真実であることが証明される限り、その事実が公共の利益に関するかどうかの具体的判断をまつことなく、また、その行為の動機のいかんをも問わず、常にこれを処罰しないというにあるものと解せられ、しこうして、この場合に真実の証明があつたかどうかを判断するについては、摘示された事実のうちでどの部分が重要な事実であり、どの部分が然らざるものであるかを、その文字の末節にとらわれることなく、慎重に取捨選択し、重要と認められる眼目の事実の真実であることが証明され得たときは、たとえ、これに付随する一部の事実の証明が得られなくても、なお、全体として、右摘示事実の証明がなされたものと解するのが、最もよく法の精神に副うものといわなければならない。

そこで、叙上の見地に立つて本件の訴因として主張されている摘示事実のうちで、いかなる事項が被告人としてその真実であることを証明しなければならない重要な事実と認められるかを考えてみると、その事実は、おおむね次の諸点に要約されるものと解するのを相当とする。

(イ)  養老村事件についての第一審判決の言渡前裁判長として同事件の審理にあたつたAが、先に右事件の被告人である伊東勝らを取調べるに当つて、無理な調べ方をしたということで被告人側から非難されているI、J両警部補の勤務している千葉県警察本部捜査課主催の会合に出席したこと。

(ロ)  右会合は

(1) その席上警察側から養老村事件の審理の内容にも関連すると思われるような質問が出て、これに対しA裁判長からも「本件は仕方ないが、これからは取調べ時間を記載するように」との話があつて、その結果同県警本部では、今後、警察における取調時間を記録しておくように各警察に通達したこと。

(2) その後、右事件の判決言渡の際、A裁判長が「本件は自白の任意性が相当問題になつている。大きな声でどなつたとかいう心理的な拷問は認めるが、暴力による拷問は認めない。ただ問題は深夜にわたつて警官が取調べを続けたかどうかという点であるが、警察では時間を記載するようなことはない」というような趣旨のことを言つていること、因に、検察官は、A裁判長が取調官と「事件の内容を取引きした」ことに付ても、被告人にその真実であることを証明すべき責任がある旨を主張しているけれども、前掲昭和三十一年十一月三十日付毎日新聞千葉版第二版及び第三版の各当該関係記事を通読すれば明らかなとおり、そこでは「裁判長が取調官に対し事件の内容を取引きした」という別個独立の具体的な事実を摘示しているのではなくして、ただその前文中に挙げられているような諸事実に依拠して伊東勝本人が抱懐している主観的な意見ないし非難の意を表示したものに過ぎないと解せられるし(なお、この点に付ては、伊東勝の控訴趣意書中の右に該当する部分の記載が、「(上略)この点刑務所と違つて警察では時間を記載する様なことは無いと言つて居る点から見れば、我々のヒガミかも知れないが、裁判長が取調官に対し事件の内容を取引きしたと疑がはれてもやむを得ないでしよう」となつていることも、また、合わせて考えておかなければならない)、また、「裁判長取調官と取引き」なる前記見出しも、その見出しのつけかたそのものについての編集技術上の当否は別として、結局、本文中にある章句の一部を簡略に引用したまでのことであつて、別段、これによつて本文中にも記載されていない別異の事実を摘示したものとはとうてい考えられないから、いずれにしても、「事件の内容を取引きした」ということを別個独立の証明対象にしようとする検察官の右主張は、その当を得ないものといわなければならない。

(二)  証拠によつて認められる事実

そこで、次に、本件において真実証明の対象とされる右各事実の真否について考えてみると、後記(3)の証拠を綜合することによつて次の(1)及び(2)の各事実を認めることができる。

(1)  (会合の経過と教養資料の配布などに関し)

(イ) 千葉県警察本部刑事部は捜査第一課、同第二課、防犯課及び鑑識課の四課からなり、従来捜査第二課長が刑事部長を兼務し、捜査第一課は強力犯係、盗犯係、指導係の三係に分れ、捜査第二課は主として知能犯を担当していたものであること。右刑事部では各課警部以上の者が出席する刑事部会において部の重要事項を協議決定するのを例としていたが、昭和三十年十二月中旬頃の刑事部会において翌昭和三十一年度の行事計画を協議した際、捜査第一課指導係長Oから右行事計画の一環として警察官の令状請求その他の事項につき地元裁判官から指導教示をうけて、その成果を第一線警察官の教育資料に供しようとの提案がなされ、この案は、その後昭和三十一年一月中の刑事部会で承認され、捜査第一課次席M及び同課の前記O指導係長らにおいて議案を選択したり、また、裁判所事務当局との打合せをしたりなどして着々その具体化への準備を進めていたが、更に同年一月二十六日右O係長において、捜査運営適正化推進のための諸資料を作成すると共に裁判所当局との緊密な連絡を保持する目的を以て同年二月下旬頃○○○○荘において千葉地方裁判所裁判官その他の係官と刑事部幹部との間に連絡研究会を開催したいという趣旨の「裁判所警察連絡研究会開催について」と題する千葉県警察本部長あての伺(前同証号の三)を起案し、右M次席をはじめ捜査第一課長P、刑事部長Kらの承認を得て、同月二十八日右伺は、L本部長の決裁をうけ、即日同本部長より、千葉地方裁判所長にあてて、「捜査運営の適正化を図る見地から貴庁担当官の御意見を拝聴し、これが推進の資料と致したく左記により連絡研究会を開催致しますから御多忙の折柄とは、存じますが係官御派遣の上左記事項について親しく御指導を賜りたく御願申上げます」と記載した「裁判所警察連絡研究会開催について」と題する依頼状(記録第六冊三百丁編綴の写真二葉は右依頼状の写真)を発したこと。

一、日時、昭和三十一年二月下旬(日は追つて御連絡の上決定の予定)午後一時より

二、場所、○○○○荘

三、議案

(1)  警察官の令状請求について

(2)  公判上から見た警察捜査の欠陥について

(イ)  調書等の作成について

(ロ)  状況証拠の整理について

(3)  警察官の証人出廷について

(4)  その他

四、懇談

五、御依頼する貴庁係官

令状係判事殿一名、公判係判事殿一名その他一名

六、当庁出席者

刑事部長及び部各課長 四名

指導係員       二名

(ロ) その後捜査第一課指導係と千葉地方裁判所事務当局との連絡打合わせの結果、右会合開催の日時は、昭和三十一年二月二十四日ときまり、また、千葉地方裁判所長の決裁によつて、裁判所側からは令状係裁判官としてC、公判係裁判官としてA、裁判官以外の係官として首席書記官F、主任書記官E及び書記官Gの計五名が右会合に出席することに決定したこと。

(ハ) かくして、千葉県警察本部刑事部主催の右裁判所警察連絡研究会は、予定のとおり、同年二月二十四日○○○○荘において開催されたが、その際の出席者は、裁判所側からは前記の五名であり、警察側からは刑事部長兼捜査第二課長K、捜査第一課長P、同課次席M、同課指導係長O、捜査第二課次席Q、防犯課長R、同課次席S、鑑識課長T、同課次席Uの九名であつたこと。

しこうして、右会合は、同日午後一時すぎ頃から開催され、劈頭K刑事部長の挨拶に続いて、P捜査第一課長が議事進行係を勤め、前掲議案の順序に従つて懇談的に意見の交換が行われたのであるが、同日午後五時頃右連絡研究会の終了後、引続き同所で懇談会に移り、警察側で配慮した酒食を共にしながら約一時間ぐらい懇談を交えたあげく、散会となつたこと。

(ニ) 右会合の場所である○○○○荘は、千葉県警察本部の付属施設として俗に警察寮と呼ばれ、主として警察官の会合、宿泊及び会食などのために利用されていたのであるが、ときには他の公務員の会合会食の用にも供されていたものであること。

(ホ) なお、右連絡研究会の開催中は、特に警察側のはからいにより室外にテープレコーダー一台を備えて、本部鑑識課勤務の警察主事Vをしてその録音に当らせ、その後間もなく捜査第一課M次席の命により、同課勤務の警部補W及び巡査部長Xの両名が右録音を再生し、その発言内容を罫紙六十一枚(一枚二十八行、一行おきのペン書き)に浄書編綴して警察裁判所連絡研究会記録一冊(前同証号の六)とし、更に捜査第一課指導係において右記録内容を要約整理して(要約者は、同課指導係警部補Y)「警察裁判所連絡研究会開催状況」と題する千葉県警察本部刑事部名義の教養資料(前同証号の七は、そのうちの一冊、但し、第一葉目の部分を除く)を作成したうえ、これに「警察裁判所連絡研究会の開催について」と題し、「本県においては、捜査運営適正化のための教養資料を作成配布し、第一線へのこれが浸透を期すると共に、裁判所当局と緊密な連絡を保持する目的をもつて二月二十四日みだしの連絡研究会を開催したが、その状況は別添教養資料の通りでありますので報告します。県下各警察署長にあつては部下教養の資料にせられたい」旨を記載した千葉県警察本部長名義の昭和三十一年三月八日付添書(前同証号の七のうちの第一葉目)をそえて、警察庁捜査課長及び関東管区警察局公安部長宛に報告するとともに、千葉県下各警察署長に宛てて部下教養の資料として送付したこと。

(ヘ) 右教養資料は、ザラ紙半切十八枚の両面にタイプによる謄写印刷をしたもので、その第二葉に「はしがき」として右連絡研究会開催の趣旨説明等があり、ついで、一、開催の日時、二、開催の場所、三、出席者、四、連絡研究事項、五、実施要領、六、連絡研究の状況という順序に記載され、前記裁判所警察連絡研究会記録の内容を要約したというのは右の六、の部分に当り、これに十四枚二十八頁をあてている。

しこうして、連絡研究の状況と題する項目下において取調時間の記録に関する発言内容の記載の有無について検するに、その第十五枚目裏終から三行目より第十六枚目表六行目にかけて、

判事「近頃非難されるのはしばしばおそくまで調べられ肉体的に苦痛を感じ自白したというのが多くなつて来たが、之れは刑務所のように何か記録したものがあれば何人も証人に呼び出される事はない。」

捜一課長「捜査本部では一人が克明に記録している。」

鑑識課長「第一線では深夜の取調は許していなかつた。看守係が日誌に記録したらどうか。」

との記載があるが、この記載は、前記警察裁判所連絡研究会記録中第四十一枚表五行目から第四十二枚表一行目までの部分、すなわち、

判事「それから近頃良く非難されるのは、しばしばおそくまで調べられて肉体的に苦痛を感じて、もうどうなつても良いと思つて、自白したとか言うのが多くなつてきたのですが、之は刑務所のように何か記録したものがあれば何人も証人に呼出されて、しつこく聞かれたりするような事もないと思うのですが、法廷でも結局は水掛論になつてしまうのですが、何か記録をとつておけば話しが簡単に済むと思いますが」

捜一課長「捜査本部をやつているときは、一人が庶務係として克明に記録していますが」

鑑識課長「私ども第一線にいたときは、大体深夜の取調べは許していません、最も今つかんだと言うような犯人以外はそんな事例はないと思いますね、看守係が看守日誌にでも記録するようにしたらどうでしようか」

とある部分を要約したものと認められること。

(因に、右取調時間の点については、養老村事件の判決言渡の際にもA裁判長が、「長時間の取調べについては警察官側が否定して何んの証拠もない。これは全国的な傾向としてないとはいえないが、証拠のない以上残念ながらどうにもならない」というような趣旨のことを説示しているのを認めることができる)

(2) (養老村事件との関連において)

(イ) 右会合への裁判所側の出席者中、Aは、養老村事件の裁判長として、Cは、その陪席裁判官の一員として終始その事件の審理に当つていたものであり、Eは、その第一回及び第二回各公判期日における審理と昭和三十年七月十八日の期日に行われた検証とを除いてすべて同事件の審理に書記官として立会つていたもの、また、Fは、右昭和三十年七月十八日の期日に行われた検証の際、書記官としてこれに立会つたものであること、他方、警察側出席者のうち、刑事部長Kは、昭和二十九年九月頃から養老村事件が起訴となる頃までの間、同事件の捜査本部長としての地位にあつたものであること(ただし、同人は、別に、捜査第二課長としての職務をもつていたため、養老村事件についての実際の捜査指揮は、当時の捜査第一課長Z某がこれに当つていた)、捜査第一課長Pは、右捜査本部解散後に捜査第一課長の地位に就いた者であるが、先に養老村事件の現場主任として同事件の被告人らを取調べた際、無理な取調べをしたということで被告人らから激しく非難されていたI、Jの両警部補を自己の部下としてもつていたこと、鑑識課次席Uは、前記O指導係長の前任者で、当時自己の部下に右I警部補をもち、また、養老村事件の公判を傍聴したこともあること、捜査第一課次席Mは、昭和三十年十二月一日鑑識課次席より転じてきた者であるが、前記会合の行われる以前に自己の部下である右I、J両警部補より、同人らが自供調書の任意性に関する証人として公判廷において弁護人側より烈しい追究をうけたことを聞き知つていたこと、しこうして、千葉地方裁判所刑事部裁判官が、今回のように警察側幹部と研究会や懇談会などをひらいて話し合うようなことは、それまでに例はなかつたし、その後もさようなことは行われたことがなかつたこと。

(ロ) 飜つて、前記連絡研究会の開催された日時の点を考えてみると、その会合の行われたのは、前記のように昭和三十一年二月二十四日であるから、単に日かずの上からいえば、それは、養老村事件の弁論終結の日(同年四月十六日)より約二ヵ月近く前であり、また、その判決言渡の日(同年六月二十九日)からみれば四ヵ月余りも前のことになるわけであるから(ただし、弁論終結当時の判決言渡予定日は、同年五月十四日であつた)、この点からすれば、前記毎日新聞千葉版の記事に右に該当すると思われる会合の行われた日時が「判決のあつた一週間ほど前」とか「判決直前」とかということになつているのとは、その間に著しいくい違いがあるように見えるけれども、他方、養老村事件の審理経過を振り返つてみると、同事件の概要は、先にも述べたとおりであるが(三、(一)(1))右事件における重要な争点のひとつである当該被告人ら三名の自供調書の任意性について取調べに当つた関係警察官四名に対する証人尋問が行われたのは、昭和三十年十月十七日の第十一回公判期日(a巡査部長、J警部補)、同年十一月三十日の第十二回公判期日(J、I両警部補)及び昭和三十一年一月二十三日の第十三回公判期日(I警部補及びb)の三回であり、しかも、その後の同年二月十三日の第十五回公判期日には被告人伊東勝ら三名に対する質問及びその供述がなされているのであるから、そうとすれば、前記○○○○荘における連絡研究会は、右の任意性に関する証人四名の尋問終了後約一ヵ月、またこれらの証言に対応する被告人ら三名の供述がなされてから後僅か十日ぐらいを経過した時期に開催されたことになるし、それに、右a、J、Iらの証人は、いずれも、法廷において、深夜にわたる取調べやその他強制ないし誘導の有無等に付き、弁護人側から相当峻烈な追及をうけていることを推認することができるうえに、公判進行の経過そのものに徴してもほぼ明らかなとおり、事件の審理は、右自供調書の任意性に関する証人尋問の終了によつて大体一段落を告げたものとも考えられるのであるから、これらの情況をあれこれ綜合勘案するときは、右連絡研究のための会合が、「判決直前」ないし「判決のあつた一週間ほど前」になされたか、又は、それより前の同年二月二十四日に開催されたかというようなことは、本件事実証明の問題に関する限り、さほど重要な意味を持つものとは考えられないこと(この点について、前記道村博が同年十一月二十九日夜、捜査第一課次席Mとの会見後、D宅に電話して、「会合は、二月二十四日だそうです」というようなことをD本人に話したところ、同人が「二月二十四日ならなお悪い」と言い放つていること―第七回公判調書中、証人道村博の供述記載―を思い合わすべきであろう)。

(ハ) そこで、さらに進んで前記連絡研究会における出席者の発言中に、養老村事件の審理の内容(同事件における重要な争点をも含めて)に直接、又は間接にでも、関係があると思われてもやむを得ないようなふしぶしがあるかどうかについて、前掲警察裁判所連絡研究会記録(以下、単に記録と略称する)を仔細に検討すると、

(あ) まず、右会合の席上において具体的な事件についての話しを出すかどうかという点についてのやりとりを示すものとして

判事(A裁判長と思われる)「証拠とか自白とか直接の自白等というものは、一つの事実認定の方法に過ぎませんからね、結局は自然に任意性の問題になる訳です、真相をつかめるものであれば良いのですが、

今やつている事件を話すと差しつかえがありますから、」

捜一課長「いや、それは構いません、」

U警部「今やつている小高などや養老の関係のものは一人もおりませんから遠慮なく、」

判事(前同)「実川(遠山村大清水の強殺事件)の場合は良かつたですね、あれは被疑者を調査した処では間違つたことばかり言つていたが、自宅を捜査した処証拠が出てきてね。背広の上衣なんかに血痕がついていたりしてあれは良かつたね云々」

との記載(記録第二十八枚裏一行目から第二十九枚表三行目まで)

(い) 誘導尋問と任意性の問題との関係に触れるものとして

捜一課長「最近の証人について任意性の問題で結局暴行、脅迫による自白であると言つて弁護士が取調べをした警察官を呼んで真正面から攻撃しているのがありますが、このような例がありますが、被告人の言つたような事を言うとか、弁護人の間で相談して任意性を崩そうとかして証人として呼出すと言うことはどんなものでしようか、」

判事(前同)「現在の制度上からは止むを得ないと思います。結局前にも話したように言葉数を少くすることが大切だと思う、我々が聞いていても大抵の場合取調べをしたのは公判より一年位前が多いのですが、我々の経験則上から言つても、どの位おぼえていられるかは判らないし、忘れた方が多いのではないでしようか、

初めの検察官の尋問にも言葉少く余計なことを言わないでおれば、弁護士の尋問にも詳細な点は忘れたと答えられるのですが、前に余計に話しておきながら、後で弁護士の場合には忘れたと言うと、前の証言をも信憑性を疑われる結果になるのである云々」

捜一課長「法の建前がそうであれば止むを得ないのですが、先程のお話しのように弁護士が復讐心理によつて必要でないものでも、或はまた反対尋問によつて任意性を崩そうとする場合のようなものはどうでしようか。」

判事(前同)「それは昔はあつたのですが、反対尋問をしているとそんな心理になるのです、立派な弁護士になれば良いのですが、仲々そんな人はありませんので、それから貴方がたは誘導尋問についてどのように考えておられるか、又どのように指導しておられるかを御話し願いたい、」

(中略)

U警部「実際に誘導尋問と云うのは困難なもので、取調べをしている場合にあるヒントを与える。また、与えなければ記憶を引出せないと言うことになり、本当に誘導尋問になるならないは難かしい問題でして、指導する場合には、結局問を短く答を長く書くようにと言つております云々、」

判事(前同)「本当にこの問題は難かしいですね、我々が法廷でやつている形式は駄目ですね、警察は警察なりの尋問をすると言うことですね、

我々は誘導尋問によつて任意性があるかないかとの議論には、現在のところ有る、という立場をとつていますが、本当に難かしい問題です、(中略)重要事件、殊に殺人、強盗殺人のような他に誰もいないというような場合にも、この誘導尋問は避けた方がよいと思います云々、」

との記載(記録第三十七枚裏四行目から第四十一枚表三行目まで)

(う) 深夜の取調べに関する記録第四十一枚五行目から第四十二枚表一行目までの記載(前出(ニ)、(1)、(ヘ))

(え) 再び誘導尋問についての

捜一課長「先程の誘導尋問の場合の任意性の真正はどうですか。証拠にするのですか、」

判事(前同)「余り問題にしておりません。考え方が誤つている人があります。それからまた、言いもしないのに言つたように書いてしまつたとか言う人がありますが、もつとも言うとおりに言わせて、後で書いてこの通りだろうと言うですね。これは供述にならない、こんなのはどんなものですかね、任意性はどうかと思われますね。」

捜一課長「それは甚だしいですね。」

U警部「結局言わせておいて、後で書いて行くうちに文章を直す場合がある訳ですが、それを読み聞かせている訳ですから、それが言つたことと違うので、そういう場合もあると思いますが、言わない事を書いている訳ではないのですが、相手の方ではそうとる訳でしようね。」

捜一課長「誘導尋問のことですが、警察で犯人を検挙するのには相当の日時がたつたあとなので、取調べにあたつては、例えば十五日にどうしたと言つても、記憶を思い出せないときに、その前日に花火があつようなときに、その花火の日はどうしていたかと言うようにして、それから問題の核心に入るような場合もある訳で、私等はこの点ぐらいでやつておりますが、それが少しずれると誘導になる訳ですね。」

判事(前同)「結局は誘導の仕方ですね。その場合にも行動をおさえて行つたらどうでしようか。行動をおさえて行つて、その後で理詰なり何なりで調べればよいと思います云々」

との記載(記録第四十三枚裏五行目より第四十五枚表四行目まで)

(お) なお、また、勾留と任意性との問題についての

判事(前同)「(前略)それから勾留は合法的な拷問だと言われていますが、言葉は良くないが、警察官には勾留の権限はないのに、言わなければ勾留にするとか言うので、このために勾留されるのが恐ろしくて自白したというときは私共は任意性の主張は取上げない。つまり信憑性の問題だと思いますが、勾留というものは一つの強制であり、言わないことを言わせたりするには良いものですが、またそれだけにおそろしいものです。だからそれを表立つて勾留にするとか言うようなことは余り口にしない方が良い。結局これは警察官の証人出廷に関係のあることですが、そんな点を良く噛みわけて言葉少なに答えることが望ましい云々。」

との記載(記録第四十七枚表五行目から同裏六行目まで)

(か) さらに被疑者相互の供述がくい違う場合における取扱いについての

判事(前同)「(前略)多人数を検挙した時に問題になるのは、多数の人の供述が合わない場合に誰がどう言つたとか、お前はこうだとか、言うような場合に共犯者に対してどんな措置をしますか。慎重に扱つてもらいたいと思いますが。」

捜一課長「通常警察としての弊害の一つですが、どうしても合せようとする欠点があります。我々としては捜査本部等の場合、捜査主任官が幾人かで取調をした場合にその状況を聞いて主任官が判断して真正の点が九十%程度であればそれ以上のこまかい点は追及しない方が良いと指導しています。」

判事(前同)「すると誰がこう言つていると告げるのですか。」

捜一課長「告げないことが建前ですが、しかし最後には対質させる場合もあります。」

との記載(記録第四十六枚表五行目から同裏末行目まで)

(き) また、情況証拠の点についての

捜一課長「先程の情況証拠の点ですが、強力犯関係の事件で情況証拠一本で有罪の判決になつたものがありますか。」

判事(前同)「それはあります。最近は殊にそのような死刑になるような重要なものは大概被疑者が否認しますので、自白調書には余り重きをおけないしあてにならないで殆んどが情況証拠によつてやつております。」

との記載(記録第二十三枚裏三行目から末行目まで)

があつて、これらの記載やその他これに関連する幾多の発言内容に徴するときは、前記養老村事件の審理の過程において激しく論議されてきた重要な争点や、また、これに関連する捜査技術上の問題等が、もち論一般的、抽象的な形においてではあるが、○○○○荘における会合の席上で取り上げられ、かつ、これについての質疑応答がかさねられたことは、否定すべくもない事実であるし、また、養老村事件の審理を担当している当の裁判長の発言として、前記のとおり、「近頃良く非難されるのは、しばしばおそくまで調べられて肉体的に苦痛を感じて、もうどうなつても良いと思つて自白したとか云うのが多くなつてきたのですが(中略)、法廷でも結局は水掛論になつてしまうのですが、何か記録をとつておけば話しが簡単に済むと思いますが」という言葉が記録されている以上、右席上で裁判長から「本件は仕方ないが、これからは取調べ時間を記載するように」との話があつたと言われても、これを全く虚偽無根の事実を摘示したものとして非難するのは、必しも当を得たものとは思われないこと。

(3) (証拠)〈省略〉

(三) 判断

以上のように考えてくると、本件において摘示された事実として先に認定したところのものは、その主要な部分について一応その真実であることが証明されたものということができるわけであるが、最後に、それでは前記○○○○荘における叙上の会合が、その当時における養老村事件の審理過程と対比しつつ客観的に見て、果して右事件の裁判に対する公正感を傷け、その威信を損う虞れのある当を得ない会合であつたと言われても己むを得ないものであるかどうかについて考察することとする。

元来、裁判なるものについて公正ということが、いかに強調されても強調され過ぎることはないくらいきわめて重要な要素であることは、今さら改めて言うまでもないことであるが、裁判を真に公正なものたらしめんがためには、ただ単に裁判の結果が適正妥当なものであるというだけでは足りず、裁判の進行過程そのものにおいても、いつさいの手続は、すべて公開の法廷において公明正大に行われなければならないことはもち論、いやしくも事件の審理を担当している裁判官としては、法廷外における自己の挙措言動等によつて当該事件の裁判に対する訴訟関係人(それが原告側であると被告側であるとを問わず)その他の人びとの正当な公正感を徒に傷つけることのないように慎重な配慮を払わなければならないのであつて(もつとも、これは、初めから悪意をもつて裁判官の些々たる言動を詮索し、故意にこれを曲解して誹謗の具に供しようとするような場合にはなんらかかわりないことではあるが)、このことたるや、実にわが憲法ならびに刑事訴訟法上の要請にほかならず、従つて裁判官としては何を措いてもこの要請に従わなければならないことは、多く言わずして明らかなところであろう。そこでかかる観点から前記○○○○荘における会合のことを考えてみると、なるほど、裁判官が地元警察官と会合協議することそれ自体は、その時と場合とによつては常に必しも不当なものとはいえないかもしれないが、本件○○○○荘における会合は、先にも認定したとおり、地元千葉県警察本部刑事部の企画主催によつて昭和三十一年二月二十四日に開催されたものであるが、時あたかも養老村事件の取調べに当つた右警察本部刑事部捜査第一課所属のJ、I両警部補らが、右事件の被告人らの自供調書の任意性に関する証人として千葉地方裁判所の法廷に喚問され、弁護人側の熾烈な反対尋問をうけてから、まださほど日もたつていない頃であつたにもかかわらず、たとえ、偶然なめぐり合わせからとはいえ、裁判所側からは養老村事件の審理を担当している裁判官が裁判長を含めて二名も出席し、他方、警察側からは、刑事部長を始め前記J、I両警部補の所属する捜査第一課の課長、次席やその他右刑事部各課の幹部級の者が参集して、「警察官の令状請求について」なる議題のほかに、「公判上から見た警察捜査の欠陥について」(その内訳として、「調書等の作成について」及び「情況証拠の整理について」)、「警察官の証人出廷について」なる議題についても彼此意見の交換が行われた結果、たまたま前記養老村事件の公判審理において激しい論議の対象となつていた強制、拷問ないし誘導尋問又は深夜にわたる取調べ等の問題についても質疑応答が行われているうえに(もち論、一般的抽象的な形においてではあるが)その後間もなく右会合の席上で行われた質疑応答の内容を要約整理したものを教養資料として千葉県警察本部長名義で県下各警察署長宛に送付されており、なお、その後、右養老村事件の判決言渡しの際にたまたま当の裁判長から、深夜における取調べの問題について、前記○○○○荘の会合の席上で言われたのとほぼ同趣旨の意見が説示として述べられている等一連の事態が認められる以上、たとえ、右会合が暮夜ひそかに行われたものではなく、前記のように公式な手続を経て開催されたものであつて、当の関係者たる前記J、Iらの警察官は出席しておらず、一方裁判所側からは裁判官のみならず首席書記官以下計三名の書記官も列席しており、かつ、その席上における談話の内容が録音され、後日それに基いて、「警察裁判所連絡研究会記録」と題する冊誌までが作られている事実があるからといつて、それが捜査官たる警察官を指導する役割をもつている検察官ならば格別、いやしくも深刻な争点を包蔵している事件の審理を担当している裁判官殊に裁判長本人が、かかる時期に、かかる会合に出席して前記のような問題について警察側と相当立入つた論議を交換したうえ、たとえ簡単な会食とはいえ、警察側の配慮にかかる酒食の席までを共にするというようなことは、裁判に対する一般の公正感をあくまでも尊重維持するという前記の建前から見て、まことに遺憾なことであつたというのほかなく、後日これを知つた被告人ら訴訟関係人や、また、裁判の実情にうとい一般の人びとの裁判に対する公正感を傷つけ、ひいては裁判の威信そのものについて一抹の疑念を抱かせる虞れなしとも断じ難いものがあるから、同事件の被告人又は弁護人が裁判の威信にもかかる重大な問題だとして右会合に対する憤まんの念を他に洩したからといつて、あながちそれ自体裁判官を侮辱したものということにはならない。(もつとも、かく言えばとて、当裁判所としては、右会合に出席した裁判所側の人びと、特に裁判長としての重責を担つて養老村事件の審理に尽すいしてきたAの裁判官としての良心を些かなりとも疑つているわけではないし、また、もとより、同事件についての前記判決の結果が公正を欠いた不当なものではないかとの疑念を抱懐しているわけでもない)。

以上説示するところに明らかなとおり、本件は罪とならないから、刑事訴訟法第三百三十六条前段によつて無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(別紙略)

(裁判官 樋口勝 伊東秀郎 柳瀬隆次)

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